静かな里の秋
静かな里の秋、おせどに木の実の落ちる夜は、ああ母さんと唯、2人、栗の実煮てます、囲炉裏端(小学校唱歌)。そんな季節も昔の話。今の生活にはそんな情緒は無い。栗の実拾いも今は無い。少し足を延ばせば有料の栗拾いが出来るけれど、そんな思いも無い。母さん元気な頃栗ご飯炊いてくれたこともあったけど、買って食いたいとも思わない。
それでも秋は紅葉は綺麗だけれど若いころから、寒さに身震いしていた。幼き頃は芋の収穫が大仕事で掘り起こし、畑からの家までの運搬、乾燥と保存。一月余りのお手伝い。あの頃は田舎の子供は皆、良く家の手伝いをした。さすがに囲炉裏端は無くそれでも土間は在った。今の中国の農村部とは一味違う、静かな秋だったのかもしれない。
里山の秋。実りの秋。それから京都、高尾の秋。東北の秋。十和田と奥入瀬の秋。あの時休屋の宿でもらったりんごのパリッとした歯応えは忘れられない。奥の細道の一部を車で走ったのは今から16年前の秋。芭蕉が見た昔の風景は無かった。当然かも。一番、趣を感じたのは新潟、酒田の北、鳥海山の近く象潟。芭蕉の見た風景ではなかったが、、今でも鮮やかに蘇る。「象潟や、雨が西施に、ねぶの花」芭蕉。
この前まで暑いと言っていたのに最近は肌寒い。是から秋の深まりと共に益々寒くなる。それでも温暖化の影響だろうか、紅葉の盛りは関西でも11月下旬と言われる。30年前と半月遅れている。これからは12月になって紅葉の時かも?オイオイ木枯らし一番は歳の暮れか?温暖化の進行は確実に季節の遅れを現実の時節に反映しているのだろうか?
田舎の生活は自然の営みの中にあったが、今では都市の生活と大差無い。電化製品も完全に津津浦浦に行きわたり、クーラーのない生活は先島諸島の西表島でも珍しくなっていた。経済の発展は必然的に環境を破壊し、温暖化の問題はこれから益々深刻になる。
それでも人の生き方は不便より便利で快適な環境を切に願う。そこに矛盾がありどちらかを選択しなければならない。それなのに現在の欲求にそんな慎ましやかな思いは無い。経済の発展は温暖化抜きには考えられない。言い換えれば温暖化を止める対策は難しい。
日本経済はバブルの時を過ぎ、今、又、確実に高付加価値を特化させながら成長の時を迎えている。その1つは先端技術、もう1つは環境技術だろう。この対応も日本は外国のライバルに負けないものがある。無いのは外交交渉能力だろう。中国やインドに負けるわけは無い。しかし政府と環境省の役人の今の取り組みを見ていると、貧乏くじを引かされる可能性もなくは無い。
巨人が中日に2敗して王手を掛けられる。予想どうりここ一番の勝負に弱い。戦力的に差が無ければ勝敗は監督とキャッチャーの差。一戦も2戦も同じ流れ。抑えるべき下位打線に打たれたら勝てる訳が無い。勝負は時の運。しかし抑えの要が守れず打てなければ3戦で終わりだろう。今年も日本一は日本ハム。アンビリバブルです。
| 固定リンク
コメント