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2007年8月23日 (木)

何気なく、されど凄い事。

昨日書いたブログの内容で、小田実氏の反戦活動の一端を紹介したがベトナム反戦運動は、アメリカ軍のベトナム敗戦で下火となる。しかし、この国の反戦活動が二ュースにならなくなったのは学生運動の終わりと共で、世界各地の戦争がなくなった訳ではない。

それなのに二ュースにならず、多くの人々が無関心でいられるの62年前、この国がアメリカとの戦いに負け、300万余の尊い人命と国土を焦土にしただけでなく、今だに南の島、タイビルマの地に眠っている遺骨の御蔭で在る。その事すら教えない人が未だに多い。

小田実氏は言う。「戦いにどんな正当な理由もなく、殺し合いに加担してはならない]。と。日本政府の言い方は違う。「これはテロとの戦いであり戦争ではない。 と。 どちらも正しいのかもしれない。それでもアフガンのアルカイダは日本がこの戦いに加担して居ないとは思わないだろう。

そんな事考えながら久しぶりに近くの本屋で小田実の本を探す。無い。 梅田、大型店に行くしかない。ここに行くと無い本は無い。近い内に行きたい。 今は暑い夏ですが本は良い。

静かな秋の夜に芋でも食いながら好きな本が読めたらささやかな幸せだろう。

今、凄い雷が鳴り夕立ちの中、洗濯物人竿取り込む。びしょぬれ。熱帯夜が続いていたので良いお湿りになる。お陰で室温も下がるだろう。しばらく残暑も続くが初秋の時も遠くない。

小田実氏はベトナム反戦活動の後、ドイツで活動していた事を深夜放送で知る。その番組で中国の意外な一面を知る。「文化大革命」 この事件も親父が20代の初めに起きる。あの時のマスコミの報道はセンセショナルで、自己批判とか江衛兵とか、意味が分らなかった。

今度の報道で当事者が語る中国の激動の時は「内乱」だった。偉大な中国建設の父、毛沢東も農業から工業への転換で失敗する。それだけでなく政権交代の責任を見誤り、イデオロギー、観念、主観で国の立て直しを若者と側近に託し、反体制のレッテルを貼り叩き潰す。

中国の凄さは国家、会社、地域、組織の対立だけでなく、体制か反体制化の対立が親子、夫婦の絆迄壊しただけでなく、目的の為には武器を使い、武器の製造工場まで手にした徹底さにある。しかし、この国の「内乱」にストップをかけたのは軍隊。それでも互いの武力をわけただけだった。 この点が天安門事件とは違う。天安門では地方から上京していた軍隊が発砲する。 

それでもこの放送が何時、収録されたのか分からないが、中国の当事者が生々しく語る。この事は全く意外だった。共産主義の国でもこれだけ自由に自国の歴史が語れるのか?それでも忘れてはならない事は、天安門の真実はまだ公開されず中国は完全自由ではない。

共産主義と資本主義の戦いは全体主義と個人主義の戦いが終わった1945年から。この国は残念ながら個人の自由が、国家の為に踏みにじられその責任は一部の戦犯と役職者、教職者に据えかえられ、敗戦と同時に価値観の変化に風見鶏顔負けの対応を取る。

そこには生きる為なら何でも有りの過酷な生存競争しかなかったのかもしれない。後の豊かな時代しか知らない親父の世代も、高卒で会社に入り10年で結婚するまで本当に貧しく豊かになったのは50年代だった。だから他国の事はとやかく言えない。

共産主義と資本主義の戦いはソビエト連邦崩壊で終わる。資本主義が勝ったのではなく共産主義の矛盾で自滅する。親父の感覚では工業製品の発展は売れるか、売れないか?市場から求められる事は「いい物をより安く」であり、この価格と品質の競争は市場原理が全てでない共産主義の市場では成り立たない。ヨーロッパの統合も例外ではなかった。

これからは世界規模の競争が更に厳しくなると言われる。「良いものをより安く」の市場原理は工業製品だけの問題で無く、農業、農産物も例外で無い。格差社会の問題が大きくなり労働コストの見直しが問われた時、大企業から中小企業の派遣社員の賃金はどうなるのか?

今日、マクドナルド神戸で働いている83歳のおばあちゃんをTVでみる。若い人とは違う仕事を若い人に負けずにこなしていた。これは例外か?

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